ジェンダー問題に対する姿勢の根本を考えるきっかけ
2021年2月3日、日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会での東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83歳)の女性を巡る発言して対して多くのメディアが記事を出しています。それは海外にも及び、2019年12月に世界経済フォーラムが発表した「ジェンダー・ギャップ指数2020」の日本の順位が、153ヶ国中121位であることも報じられています。2月4日には、森喜朗会長が「不適切な表現だった」として発言を撤回し、陳謝した謝罪も行われましたが、騒動は収まる気配がありません。ネット上には、メディアの記事だけでなく個人の意見も多く見られます。
日本は、ジェンダーに対する意識が他国に比べて低いと言われているのは確かです。先日も書きましたが、夫婦別姓が認められていない国は日本だけです。何度も勧告を受けているにも関わらず、是正される気配はありません。
あくまで個人的な意見にはなりますが、日本ではジェンダーに関することは、まだまだ「やらねばならないこと」という意識のなかで行われているように感じています。本当に変えたいという思いよりも、体裁を整えなければという考えが透けて見えます。
何ごともそうですが、やらされてやることは続きませんし、正しく整いません。もちろん、多くの人が本当に制度を変えたいと思っているにも関わらず、表面的な体裁を整えるだけで根本が変わっていない限り、今後もこのようなことは起きます。ここでいう、「このようなこと」というのは発言そのものも含みますが、発言に対するメディアの記事や個人の言葉です。
コロナ禍で、“自粛警察”や“同調圧力”という言葉を耳にするようになりました。今回のことも、どこかそれに近いことに感じています。もちろん、森会長の発言には問題があったと思います。しかし、それに対するメディアの記事があまりにも同じものが多すぎて各メディアが世の中が認める論調を提示しているだけということが否めません。
日本は、女性の活躍が本当に進まない国です。こちらも以前書いたことですが、“女性支援”という言葉がある限り、女性は庇護されるものという定義のもと、話は進んでいるのです。コロナ禍で多くの非正規社員が雇止めや解雇となっていますが、そこに女性が多いことも日本の姿です。女性が行うのは補助的な仕事であるという流れ。そもそも、日本で女性活躍推進する理由は、少子高齢化で労働人口が減少するため、という報告から始まっているからです。女性の活躍を応援するよりも、人手不足を補うためなのです。それらを決めた時代の人たちが、今も政治の世界にいる限り、このようなことは繰り返されるのだ、と思います。
そして、上げ足を取るようなメディアの記事。日本が本当にすべきことは、森会長の発言を批判することではなく、日本の在り方を変えていくことではないでしょうか? 女性支援の理由や、企業での女性役員の割合が5.2%にとどまっている理由を考えるべきではないでしょうか? ニュースにはならないけれど、同様なことが企業内でも起こっているのではないか、と考えています。
多くのメディアの記事を批判で終わらせてしまってはまったく意味がありません。これは潜在的な日本という国が抱えている問題です。メディアが行うことは批判ではありません。メディアが本当に力をもつなら、世の中を変えるべく動くべきではないでしょうか?
コロナ禍で女性の自殺者が増えています。これも女性支援と言いつつ、女性を支援できていないからです。そろそろ体裁だけ、見た目だけを繕うのは辞めにしなければ、同じ問題を繰り返すだけとなるでしょう。批判することは誰にでもできます。ここで何を学び、これをきっかけに何を変えていくのか、を考えるのはこれからの日本の姿を変えていくことではないでしょうか?
今回のことは、SDGsウォッシュが増えることに繋がると感じています。
最後になりますが、“代案を持たずして、他人の欠点を指摘するだけを「批判」と言う”ともいわれています。ただ、指摘するだけでは、“欠点やあやまちなどを責めとがめること”を意味する非難になるのではないでしょうか?